きのこ分類最前線
【新種の発見と記載】長野県で発見した3種のイグチ ~ホテイイロガワリ、ニオイバライロイグチ、モウセンアシベニイグチ
種山裕一=文と写真
菌類の中で肉眼で見える子実体を形成するものをきのこと呼んでいます。カビなどと比較して大型で目につきやすいので、きのこには、「以前から存在は知られているが名無しの権兵衛」といった種類が沢山存在しています。日本に産する既知のきのこはおよそ2500種とされていますが、実際にはその数倍が存在するであろうとされています。きのこの種数に対して専門の分類学者の人数が圧倒的に少ないので、すべてのきのこに名前が与えられるまでかなりの年月が必要になると考えられます。
きのこは肉眼的な所見のみで正確に同定することは困難な生物で、その同定には顕微鏡的所見は必須とされており、さらに現在では遺伝子情報も必須とされています。肉眼的によく似ていて区別が困難なきのこを詳細に調べると実は何種類か混在していたなどといったことも珍しくありません。
一例を挙げると、アメリカウラベニイロガワリという有名なイグチがありますが、全国からアメリカウラベニイロガワリとされている、あるいは非常によく似ているイグチのサンプルを収集し詳細を調べたところ、10種類程度が混在しているという結論が得られています(筆者の未発表データによる。いずれきちんとした形で公表しなくてはならないのですが)。つまり全国各地で別のきのこを同じ名前で呼んでいるということになります。 一つの和名に数種類混在していること、明らかに既知種とは異なっているが「名無しの権兵衛」、発生がまれで発見されにくいもの、小型で発見されづらいものなどを合わせれば、きのこの総種数は既知種の10倍以上と見込んでも良いような気がします。
長野県で発見し、新種記載した3種類のイグチ
2013年に筆者は高橋春樹氏、出川洋介氏とともにイグチの新種を記載した論文を発表しました。「Notes on the boletes of Japan 1. Four new species of the genus Boletus from central Honshu, Japan 」と題して日本菌学会が発行するジャーナル 『Mycoscience』 に掲載されました。2013年の時点で日本産のイグチは150種あまりが知られていましたが、まだまだ未知の種が多数存在し、特に亜高山帯に生息するものについてはほとんど調べられていませんでした。本論文において新たに記載したのは次の4種類です。亜高山帯針葉樹林に発生するモウセンアシベニイグチ Boletus panniformis Taneyama & Har. Takah. 、里山に発生するホテイイロガワリ Boletus ventricosus Taneyama & Har. Takah.、ニオイバライロイグチ Boletus cepaeodoratus Taneyama & Har.Takah.、ヌメリイロガワリ Boletus viscidipellis Har. Takah., Degawa & Taneyama です。
論文の筆頭著者は高橋春樹氏で、種の記載文から分類学的検討までの論文全体の執筆を担当し、筆者は記載に必要となる肉眼的、顕微鏡的データの取得、顕微鏡図の作成を担当しました。メールを介してのやりとりが何度もつづき、高橋氏からは、顕微鏡観察に関してレベルの高い注文があったり、筆者からは、「この形質は重視すべきなのか?」などの質問や「ここを図に描きたい」などの提案をしました。出川洋介氏(筑波大学)は、ヌメリイロガワリ採集当時(2001年)神奈川県立生命の星地球博物館の学芸員で、小田原市入生田産ヌメリイロガワリのホロタイプの凍結乾燥標本の作成と管理を行い、さらに論文全体のチェックを担当しました。
ここでは、本論文で新種として記載した4種類の中から長野県産標本に基づき筆者が命名したホテイイロガワリ、ニオイバライロイグチ、モウセンアシベニイグチの3種類を紹介します。
ホテイイロガワリの発見
本菌は筆者がイグチの研究にのめり込むきっかけとなった筆者にとって大変思い入れのあるイグチです。筆者は生まれも育ちも長野県で根っからの信州人ですから、幼少の頃からきのこは食べ物であり、最もよく食べていたのはジコボウと呼ばれているハナイグチでした。大人になってから、今から15年ほど前でしょうか、山へ入ってきのこ狩りをするようになりました。子供の頃からのきのこに関する知識はごく乏しいものでしたので『日本のきのこ』などの図鑑を数冊購入し、採って持ち帰ってみたものの正体がよくわからないきのこについて調べるようになりました。
写真=ホテイイロガワリと名付けたイグチ。興味を持った最初のイグチが新種だった。
図鑑には夏に発生するイグチ、ヤマドリタケモドキなどのことが書かれていたので、秋だけではなく夏もきのこを探しに行こうということになりました。2006年のことです。そうして真っ先に出会ったのが本菌だったのです。地元のきのこ名人に見てもらったところ「これはイロガワリ」とされ、また信州きのこの会で尋ねたところ「これは典型的なミヤマイロガワリ」、さらには当時盛んだったインターネットのきのこ画像掲示板にも投稿しましたが、「ニセアシベニイグチ」逆に「断じてニセアシベニイグチではない」など、様々な見解がありとても真相には近づけない状況でした。またネットで画像を漁っていると本菌であろう画像が散見されましたが、不明種あるいはミヤマイロガワリの仲間などとされていることが多かったと記憶しています。
◆顕微鏡観察の世界へ
人生で初めて出会った夏のイグチでしたが、いきなり迷宮入りという事態となってしまいましたので真相を追求すべくヨーロッパ、アメリカ、中国の文献を買い求め、顕微鏡を入手し本格的にきのこの研究に手を出すことになったのです。「いきなりそこまでやるのか」と思われる方も多いと思いますが、全てはあの有名なきのこサイト「きのこ雑記」の影響だったのです。「きのこ雑記」の過去記事をすべて読み顕微鏡観察の手法を学びました。 観察対象のきのこがどのようなものなのかを知るためには、標本を複数観察する必要がありますので、同一種と思われる標本を繰り返し採集することが必須となります。採集した標本を肉眼的特徴を記録した上で乾燥標本として保存し、冬の間に片っ端から顕微鏡で観察するのです。
きのこのどの部分を観察するのかというと、かさ表皮では表皮を構成する菌糸構造、菌糸の特徴や色素の分布状態、子実層(イグチの場合は管孔、胞子を生産するための部位)では、縦断面の菌糸構造、担子器(胞子を作る細胞)、シスチジア(子実層内部の保護や胞子の落下経路の確保の役割があるとされています)の形態や胞子の大きさなど、柄表皮では、縦断面の菌糸構造、柄担子器(イグチには柄にも担子器があります)や柄シスチジアの特徴、そして全ての部位でメルツァー試薬(ヨード反応を見る薬品)による呈色反応を観察します。
その後、しつこくしつこく顕微鏡観察を行い複数の文献と照合し、本菌はこれまでに知られているどのイグチでもないと確信するに至り、さらに新種として記載することになったのです。本菌を記載するにあたり分類学的処置は、形態に基づきSinger博士の分類体系(Singer 1986)に従い、柄に網目を有する点、青変性を持つ肉、管孔と同色の孔口などの点から、ヤマドリタケ属アミアシイグチ節としました。 本菌の肉眼的な特徴は、かさの径が20cm以上に達する大型の子実体で(写真②)、柄の上部または中腹部にまで網目が存在し、柄の形状は下方で便腹状、または著しく膨らみ、管孔はかさ肉と比較して極端に短く、肉や管孔、表皮に強い変色性があり、肉に線香のような匂いがある点です。顕微鏡的特徴としては、縁シスチジアや柄シスチジアは紡錘形、棍棒形、複数の隔壁を持つものが混在し(写真③)、柄の網目部の直下は管孔と同様の菌糸構造で、成熟した子実体では著しく肥大した細胞(写真④)をもつ点です。
ホテイイロガワリ Boletus ventricosus Taneyama & Har. Takah.
◆類似種との比較
最も比較すべき種として、日本産のニセアシベニイグチ Boletus pseudocalopus、中国産のB. dimocarpicola が挙げられます。両者ともに管孔が極端に短いことで知られており、ニセアシベニイグチは肉の青変性は弱く(写真⑤)、管孔が柄に垂生し、縁シスチジアは広棍棒形である点が本菌と異なっており、B. dimocarpicola は肉の変色性はないとされています。 その他に国内で見られる類似種には次のようなものがあります。ミヤマイロガワリにはかさの色、柄の色と網目、変色性など本菌と共通する点がありますが、管孔の長さはかさ肉の厚さと同等か少し短く、かさ表皮を構成する菌糸の末端細胞がシスチジア状に肥大する、肉にスパイスのような臭いがある点が本菌と異なっています。ニオイバライロイグチも管孔が短いという特徴を持っていますが、かさの色はバラ色という点で一目で本菌と識別することができます。イロガワリは柄の形状は上下同大で網目を欠き、管孔の長さはかさ肉の厚さと同等か少し短い点が本菌と異なっています。アカアミアシイグチB. pseudoluridus は、本郷次雄博士が描いた図版は本菌にそっくりですが、柄の網目はより明瞭で、柄シスチジアは紡錘形である点が異なっています。
肉眼的にもっとも特徴的である形質、柄の下方が膨らむ点と強い青変性をもつことから、本菌の和名をホテイイロガワリとしました。学名のventricosus は便腹状という意味です。論文執筆中に標本が手に入らなかったので書きませんでしたが、ホテイイロガワリは直径25cm程度まで大きくなることがあります。非常に大型で目立つにもかかわらず、長い間「名無しの権兵衛」であったきのこの代表的な例ではないでしょうか。
洋風料理のような香りのニオイバライロイグチ
筆者が夏にもきのこ狩りをするようになってホテイイロガワリの次に出会ったのは本菌とニセアシベニイグチです。林内でひときわ輝くバラ色のかさを見たとき、これがアカジコウなのかと喜んだものです。しかし、地元のきのこ名人に見てもらったところ、これはアカジコウではないと教えていただきました。では何というイグチなのかは誰も知りませんでした。
種山裕一(たねやま・ゆういち)
1965年生まれ。日本菌学会、菌類懇話会会員。 2008年より菌類の研究を始め、2013年には本稿の元となる共著論文を発表。2015年には事務所にDNA研究室を設置 。共著書に『南西日本菌類誌』(東海大学出版部)がある。本業は映像制作。牛肝菌研究所 http://boletus.sakura.ne.jp/