永田芳男さんの日本全国花行脚
第7回 壊滅したイブキトリカブト ~滋賀県伊吹山~
『山溪ハンディ図鑑 山に咲く花』や『レッドデータプランツ』などでおなじみの植物写真家の永田芳男さん。髭がトレードマークで髭さんと呼ばれていましたが、いまでは髭も真っ白くなりました。三つ子の魂百までで、いまだに植物を追いかけて日本全国花行脚を続けています。旅先で出会った野生の草や木を主体に、時に花の名所なども兼ねて、永田さんが気になった植物をひとつずつ紹介していただきます。
イブキトリカブトは名前の通り伊吹山を中心に、本州中部地方の主に太平洋側に分布するトリカブトである。トリカブトに猛毒があることはかなり知られている有名な事実だが、この毒草のトリカブトが、今危機的な状況にある。かつての伊吹山ならば、山頂周辺に限らず、山麓でもごく普通に目にしたのだが、現在では絶滅が危惧されるほどに減少している。
このイブキトリカブトの写真は、2011年8月の撮影である。7合目付近の群生地での撮影だが、それから2年ほどの間に、紫色に見えていたその群生地からトリカブトはまったく消えてしまった。トリカブトだけではなく群生していたコイブキアザミやキオン、テンニンソウなどのお花畑も消えてしまった。
原因は異常に増えたシカの食害である。
最初はシカが猛毒のトリカブトを食べるなど信じられなかった。だが、あきらかにシカが齧ったと思われるトリカブトの新芽を見たときに、それは確信に変わった。食べるものがないので、毒草のトリカブトを食べて下痢状の糞をしながらも、それでもトリカブトを食べているのを滋賀県や京都府の山中でも見ていたので、ついに伊吹山もその犠牲になったかと、ガッカリすると同時に、これは恐ろしいことになったと思った。
美味しいものから食べるので、伊吹山の名物ともいえるツモツケソウやクガイソウなどがまず被害を受けた。クガイソウやキンバイソウなどの花は、もう10年以上も前に消えてしまった。いまや草や低木がすべて食べられてしまい、まるでゴルフ場の芝生のような状態で、場所によっては裸地化して土ぼこりが立っていた。花の名山と謳われた伊吹山から、花の群生が消えてしまったのだ。
山頂一帯のお花畑はシカよけの防護柵が設けられているが、シカは夜間にその柵を飛び越えたり、嚙み切って穴を開けたりしてお花畑の中に侵入し、お花畑を根こそぎ食べているのが現状である。
2023年6月25日に伊吹山のシカ防護柵の中でも最大のイブキトリカブトの群生地だった場所に来て唖然となった。写真の通りシカに喰われてに丸坊主状態で、イブキトリカブトの茎だけが林立していたのである。新芽が出るたびにシカに喰われているイブキトリカブトは、この状態では花は咲けないだろう。
後方に少し見える色の黒っぽい緑は、シカが忌み嫌うマルバダケブキである。イブキトリカブトの下には、昔からマルバダケブキの小集団があったのだが、それが登山道の上の斜面にまでどんどんと勢力を拡大していた。花が咲けばマルバダケブキは随分と華やかで、登山者の目を引くことだろう。だが、伊吹山ではそれは明らかに異常な風景なのである。8月末には紫色に見えたこの斜面は、今年は一体どうなるのだろうか。
永田芳男(ながた・よしお)
1947年生まれ。植物写真家。おもな著書に『山溪ハンディ図鑑 山に咲く花』『増補改訂新版 絶滅危惧植物図鑑レッドデータプランツ』(いずれも山と溪谷社)など多数。
【図鑑.jpのイブキトリカブトのプレビューページ】
https://i-zukan.jp/category/syu?category_id=5000
★プレビューページは無料です。初めての方は2週間の無料体験が可能です。